おしじょう
日本遺産「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」
関東7名城
続日本100名城
所在地:埼玉県行田市
行田市郷土博物館
開館時間 9:00~16:30(入館16:00まで)
埼玉県行田市の忍城へ
行田市郷土博物館第1駐車場
駐車場のマップ
忍城も日本遺産構成文化財だ
本丸土塁
本丸西側を囲む土塁
門が見えてきた
伝進修館表門
藩校「進修館」の表門と伝わる
現存する行田市唯一の武家屋敷の表門
(行田市城西の旧芳川家表門を移築・復元)
伝進修館表門の案内板
お手洗いの看板もお城っぽい
タケノコもにょきにょき
忍城櫓の石垣
元禄15(1702)年に三階櫓一棟と
二階櫓一棟が建てられたが
明治6(1873)年に廃城により解体
東門の案内板「忍城の由来」
文明十(1478)年頃成田顕泰により築城
天正18年の秀吉の関東平定の際
石田三成の忍城水攻めに耐えたことで
「この城は水に浮くのか」と怖れられ
“忍の浮城”とも称されたとある
東門
橋の上にて
花手水
お堀を周ってバス通りへ
バス停もお城っぽい(笑)
忍城址案内図
行田市は足袋の町
史跡 忍城の鐘
忍城の鐘の横の壁
〇□△の窓がかっこいい
博物館の開館まであと少し
のんびりもう1周
別の角度からも櫓を撮影
冠木門へ向かう道
こいのぼりが泳いでいる
冠木門
開館した
行田市郷土博物館
歴代忍城主の甲冑からスタート
手前から成田氏(丸に三つ引き)
大河内松平氏(丸に三蝶の内十六菊葉)
阿部氏(丸に違い鷹の羽)
東条松平氏・奥平松平氏(丸に三つ葉葵)
足袋のブランドロゴがすごい
古墳のおうまさん
かわいい埴輪たち
忍城の鐘
文政6(1823)年に転封により
桑名藩主松平忠義と一緒に忍城へ
ここから通路を通って
三階櫓の中を楽しめる
初代城主成田氏に別れを告げて
お次は“ぎょうだ古墳めぐりの旅”へ
駐車場から古墳が見える
史蹟埼玉村古墳群
さきたま古墳公園
本日の目的地は丸墓山
丸墓山古墳
6世紀前半ごろと推定
直径105mの円墳は日本最大級
石田三成の忍城水攻めの際
古墳の頂上に陣が張られた
丸墓山古墳案内板
石田堤
古墳南側から古墳にいたる道は
石田三成が水攻めの際に築いた堤防の跡
丸墓山古墳頂上
丸墓山古墳と忍城
丸墓山古墳は高さが19mで
周辺を一望できることから
三成の陣が張られたと言われている
忍城が見えた
ズームして確認
記念撮影
稲荷山古墳
前方後円墳 こちらも登墳できる
将軍山古墳
埴輪が並べられている
南側の階段は九十九段
北側は九十三段らしい
北側から降りてみよう
北側の階段
緑に菜の花の黄色がきれい
シロバナタンポポ
古墳南側の石田堤の案内板
お次は石田堤史跡公園へ
石田堤史跡公園へ向かう道
ここも全長28㎞の堤の一部
石田堤
天正18年6月石田三成によって
忍城水攻めのために築かれた
全長28㎞の堤を1週間で作り上げたが
水攻めは決壊のため失敗に終わる
この案内板は裏面にもご注目
石田堤史跡公園
展望台の足元に地図が
あずまやの案内板
「天正18年前後の関東の様子」
ここでようやく真田の足跡を発見
ちなみに昌幸は天正18年6月14日
鉢形城を降伏させたのち
父子で忍城包囲戦にも参加
公園の反対側の道路を渡ると
新幹線の高架下にやぐらがある
櫓の下に立つと音声が聴こえる
新幹線が上を通るときはサプライズも
米俵は忍城戦の人夫の賃金らしい
昼は銭六十文+米一升
夜は銭百文+米一升
水攻め失敗の原因である
堤の決壊の様子
堀切橋
このあたりで堤が決壊したようだ
石田堤碑
石田三成に別れを告げ
かねつき堂
本日はここでランチタイム
行田と言えば!
ゼリーフライ
ふわふわ~
ふらい焼きそば卵入り(大)
もちもち~
どちらも美味しかったぁ
帰り道の温泉は
かんなの湯へ
炭酸泉で体ぽっかぽか
水攻めに耐えた難攻不落の忍城
石田三成や真田昌幸の足跡をたどり
(『真田丸』第23話「攻略」参照)
古墳や石田堤で戦国の世を感じた
真田歴史あるきに感謝
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