たけだじんじゃ
所在地:山梨県甲府市古府中町2611
TEL:055-252-2609
本日は武田めぐり
武田神社(躑躅ヶ崎館跡)をスタートし
武田二十四将の館跡へ
まずは腹ごしらえ
姫さま~
由布姫ときたらやはり勘助
勘助カレーうどん
穴山玄蕃頭信君屋敷跡
あなやまげんばのかみのぶただ
現在は信玄ミュージアム
★信玄の娘を正室に迎えた
★徳川家康に降伏し武田氏の再興を目指す
★本能寺の変の混乱に巻き込まれて死去
『どうする家康』の梅雪(田辺誠一)だぁ
春日虎綱(高坂弾正)屋敷跡
かすがとらつな(こうさかだんじょう)
武田神社の東側に位置
★石和の百姓出身
★信玄の側に仕え使い番から出世
★『甲陽軍鑑』の作者
『風林火山』で源五郎(田中幸太朗)が
勘助に孫氏をワクワク教わる場面が好き
真田弾正忠幸綱屋敷跡
さなだだんじょうのじょうゆきつな
甲府にも真田の足跡を見つけ感激!
★信濃国の出身
★村上勢が守る砥石城を攻略
★本拠地真田郷を取り戻し西上野方面で活躍
『風林火山』の幸綱(佐々木蔵之介)は
人望も厚く知略にも長けてカッコイイぞ
横田備中守高松屋敷跡
よこたびっちゅうのかみたかとし
武田氏館御隠居曲輪の東側
★他国から牢人衆として武田家に仕えた
★佐久郡志賀城攻めの小田井原の戦いで活躍
★砥石崩れの折、殿軍を務め戦死
『風林火山』第32回「越後潜入」では
砥石崩れの様子が回想シーンで登場
武田刑部少輔信廉屋敷跡
たけだびょうぶのしょうののぶかど
武田氏館裏手
★信玄の弟で信繁とともに信玄を支えた
★信濃深志城代や高遠城代を務めた
★芸術家として信虎や大井夫人の肖像画を残す
『風林火山』第36回「宿命の女」では
今川との新たな盟約の交渉役として
信廉(松尾敏伸)と駒井(高橋一生)が活躍
虎落小路(もがりこうじ)
「虎落」とは竹を筋違いに組み合わせて
縄で結び固めた垣根のこと
武田氏館への侵入を防ぐための柵
虎落小路の西には
土屋昌次と小山田信茂の屋敷があった
小山田左兵衛尉信茂屋敷跡
おやまださひょうえのじょうのぶしげ
現在は相川警察官駐在所
★山梨県都留市から富士吉田市方面が拠点
★信玄の葬儀では御剣を持って参列
★上杉景勝との甲越同盟の交渉を担う
★甲府の善光寺で処刑
『真田丸』では信茂(温水洋一)は
武田家裏切りのシーンから始まり…
土屋右衛門尉昌続屋敷跡
つちやうえもんのじょうまさつぐ
勘助の屋敷と近所、現在は畑
★信玄の側近として信頼を寄せられる
★駿河出兵では指令の伝達をすべて行った
★天正3年長篠の戦いで激闘の末戦死
山本勘助晴幸屋敷跡
やまもとかんすけはるゆき
現在は古府中町2号公園
★占いや周辺国の使者として活躍
★『甲陽軍鑑』では築城術に秀でた足軽大将
★軍記物では信玄を補佐する隻眼の軍師
『風林火山』の内野聖陽演じる主人公
「御屋形様」「姫様」と叫びたい
真田源太左衛門尉信綱屋敷跡
さなだげんたざえもんのじょうのぶつな
現在はスーパーオカ
★真田幸綱の長男、信濃先方衆筆頭
★白井城を攻略したのち岩櫃城に入った
★天正3年長篠の戦いで弟の昌輝と戦死
ここでも真田ファミリーに会えて嬉しい
『風林火山』第34回「真田の本懐」では
源太左衛門(森脇史登)が砥石城攻略に奔走
信玄から「信綱」の名をもらう場面が好き
内藤修理亮昌秀屋敷跡
ないとうしゅりのすけまさひで
★工藤氏の出身、内藤家を継いだ
★信濃深志城代、箕輪城代に抜擢
★天正3年長篠の戦いで戦死
板垣駿河守信方屋敷跡
いたがきするがのかみのぶかた
現在の住所は「屋形三丁目5」のよう
★信玄・信虎の二代に仕えた重臣
★信玄の傅役を務めたとされる
★天文11年には攻略後の諏訪地域を統治
★天文17年上田原の合戦で戦死
『風林火山』第28回「両雄死す」
板垣(千葉真一)が討たれる場面は
涙なくしては見られない…
馬場美濃守信春屋敷跡
ばばみのかみのぶはる
武田通り沿い
★信玄に抜擢されて馬場氏の名を継ぐ
★長篠の戦いで勝頼を逃がすため殿を務め戦死
★織田から「馬場美濃守比類なし」と称えられた
『風林火山』では教来石景政の名の時代から
高橋和也さんが大活躍
原隼人佑昌胤屋敷跡
はらはやとのすけまさたね
★侍大将だった父昌俊から家督を継承
★陣取り・地理を見極める才あり
★天正3年長篠の戦いで戦死
原と聞いて『風林火山』で鬼美濃と呼ばれた
原虎胤(宍戸開)の関係か?と思ったが
昌胤は美濃土岐氏、虎胤は千葉氏で別系統
三枝勘解由左衛門尉昌貞屋敷跡
さえぐさかげゆざえもんのじょうまささだ
★信玄の奥近習衆、側近として育てられた
★足軽大将、山県昌景の寄子として活躍
★長篠の戦いでは蔦ヶ巣山攻防戦で戦死
多田三八郎(多田淡路守満頼)屋敷跡
たださんぱちろう(あわじのかみみつより)
★美濃国から武田家に仕えた牢人衆
★『甲斐国志』では信濃国の虚空蔵山で
火車鬼という妖怪を切った伝説あり
大神宮(伊勢の森)跡
この一帯には伊勢神宮まであったらしい
武田典厩信繁屋敷跡
たけだてんきゅうのぶしげ
武田通りセブンイレブン前
★信玄と同じく大井夫人を母に持つ弟
★信玄の信頼厚く「副将」と称された
★永禄4年川中島の合戦で信玄を守り戦死
『風林火山』の信繁(嘉島典俊)も
兄への忠誠心高く泣けてくる
真田昌幸が憧れ、次男は信繁だね!
秋山伯耆守虎繁屋敷跡
あきやまほうきのかみとらしげ
武田通り山梨大学前
★南信濃の伊那郡を納める拠点の大島城代
★信玄が上洛を目指す西上作戦に参戦
★岩村城で信長の叔母を妻に迎えた
飯富兵部少輔虎昌屋敷跡
おぶひょうぶのしょうとらまさ
武田通り山梨大学前
★信虎・信玄の二代にわたって支えた宿老
★天文22年北信濃攻略拠点の塩田城代に
★信玄の嫡男義信の補佐役
★義信と共に謀反の疑いで成敗された
『風林火山』で太郎(木村了)を守る
飯富(金田明夫)の忠誠心の厚さにも涙
甲府の空に虹が見えたよ
鍛冶小路
北東中学校正門前の市道
戦国時代の城下町は武士が北半
商人や職人は南半に住んでいたが
武具の製造修理を行う鍛冶職人だけは
武田氏館の近辺に屋敷を与えらえた
小畠山城守虎盛屋敷跡
小幡豊後守昌盛屋敷跡
おばたやましろのかみとらもり
おばたぶんごのかみまさもり
★春日虎綱の副将として海津城に入る
★死去の際「よくみのほどをしれ」と遺言
★子昌盛も足軽大将衆として活躍
★子小幡景憲は、武田流軍学の祖となる
山県三郎右兵衛尉昌景屋敷跡
やまがたさぶろううひょうえのじょうまさかげ
北東中学校正門前
★飯富虎昌の弟で信玄の側近
★兄の死後譜代家老山県氏の名跡を継ぐ
★長篠の戦いで戦死
『風林火山』では源四郎(前川泰之)は
いつも兄虎昌(金田明夫)を支えていたね
甘利備前守虎泰屋敷跡
あまりびぜんのかみとらやす
山梨懸護国神社
ちょっと草ぼうぼうで可哀そう💦
★信虎の代から重臣として活躍
★板垣信方とともに武田家臣団筆頭
★佐久郡志賀城攻めで上杉憲政軍を撃破
★天文17年村上氏との上田原の合戦で戦死
『風林火山』第28回「両雄死す」
甘利(竜雷太)は村上(永島敏行)に
寝返ったと見せかけて…
武田信玄公御墓所
二十四将の屋敷をめぐったあとは
御屋形様のお墓参り
臨済宗園光院 三条夫人廟所
奥方様のお墓参りも
今もとても大切にされている
一条右衛門太夫信竜屋敷跡
いちじょううえもんのたゆうのぶたつ
ファミリーマート甲府北新店前
★信玄の異母弟で一条氏を継いだ
★駿河侵攻に際し田中・駿府城代を務めた
★本拠地上野城で徳川家康と戦い戦死
残り一つがなかなか見つからず…
たまたま立ち寄ったファミマで発見!
旅の思い出のピンバッジ
武田信玄の館から二十四将の館を歩き
真田幸綱の時代の足跡も発見
歴史の案内を読みながら思いを馳せた
武田歴史あるきに感謝